蓬の歌を聴きながら

曹植とその周辺の人々の作品です。素人解釈なので誤字脱字誤訳などお気づきの点はコメントいただけると嬉しいです。m(。・ω・。)m

Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

隋代の曹植碑

東阿県のサイトに曹植碑の文章がありました。
適当に意訳します。


王諱植,字子建,沛國譙人也。
陳思王植、字は子建は沛國譙県(安徽省毫州市)の人である。

洪源與九泉競深,崇塞與三山比峻。自權與名勝乃昌興焉。
その祖の起源は黄泉の世界より深く、山よりも高い。名声は広く知れ渡った。

其後建國開疆,左右周室,顯霸業於東邾,彰芧封於譙邑。
その子孫は国を興し、西周王朝を補佐し、邾国で覇を示し、譙国を与えられた。

瓊根寶葉,蒔芳蘭如莫朽;軒冕相傳,裘缙紳而不絕。
美しい玉のようで、蘭の如く香る名声は高貴であり、代々官職が途絶えることはなかった。

此乃備頒典籍,聊可梗概而言矣。
このように古典には記されている。

逮承相參,乃成王室,道勳隆重,位登上宰,受國平陽。
曹参は朝廷にて功労があり、上宰にまで上り詰め、平陽侯に封ぜられた。

自茲厥後,鳴鸾鳴玉,飛蓋交映。
それ以来、その高貴な様は宝玉に身を包み豪華な車に乗って軽快に行きかうようであった。

祖嵩,漢司隸太尉,公職掌三事。從容論道,美著阿衡之任,不亦易乎?
曹嵩は司隷校尉・大司農・大鴻臚を勤めた。穏やかな政治政策は宰相ばりのものであった。

父操,魏太祖武皇帝,資神龍虎剖判,郁以開基。
曹操は魏の武帝であり、英雄の資質を持ち、形勢をうかがって開国した。

名頒谶牒,謠敝真人。
功績は史書に称えられ、仙人のごとく広く伝えられた。

火運告終,土德承曆。
漢王朝の火徳が終わりを告げ、魏の土徳の時代が来る。

爰據圖錄,享有天下。驟改質文,馳遷正朔。
帝王の名の下に国を掌握した。国家理論を一新し、法令を整えた。

英雄之氣,蓋有余矣。
英雄の危害は天下を覆うに足りるであろう。

昆丕,魏高祖文皇帝,紹及四海,光澤五都。
兄の曹丕は魏の文帝であり、皇位を受け継ぎ、その恩恵は五都(長安、譙、許昌、鄴城、洛陽にいきわたった。

負名明堂,朝宗萬國。允文允武,庶績鹹熙。
朝廷には多くの諸侯が来朝した。文武によって多くの功績を残した。

正踐升平,時稱甯晏。致黃龍表瑞,驗兆漳濱。
天下泰平の時代に入り、世の中に安寧が訪れた。黄龍が現れ、縁起がよく、漳水の水辺で瑞祥が現れた。

玉虎金雞。
(参考サイトさんだと玉虎台、金雞台ってあるけど、鄴城のは銅雀、金虎、氷井だし。なんだろ?)
漢典には虎の形の玉(白虎?)、金鶏(神鳥、めでたい鳥)ともあった。

恒綸宇縣
王の印綬は永遠に受け継がれる。

王乃黃內通理,溫淑含英。
陳思王は小さいころから物事に通暁し、温和で文才を備えていた。

睿哲禀于自然,博愍由于無縱。
聡明さがあふれ出ていて、天下を広く哀れんだ。

佩金華以邁四氣,抱玉藻以忽風霜。
佩玉を帯びる高貴さは四季をめぐり?(曹植前期の様子を言っている?)、苦難の中でも佳作を生みだした。

綴贍藻于孩年,攝酉什于孺歲。尋聲制賦,赝诏題詩。
少年時は豊富に文章を綴り、若い時から官職を得た。思いのままに賦を作り、詔に応じて詩を詠んだ。

詞彩照灼,子雲遙慚于吐鳳;文華理富,仲舒遠愧于懷龍。
言葉は光彩を放ち、楊雄もため息が出るほどで、道理にかなった文章は董仲舒の才を凌ぐほどだ。

又能誦萬卷于三冬,觀千言于一見。
3回冬を越すうちに万巻の書物を読み、一日のうちの数千の語句を読み通すことができる。

才比山薮,思並江湖。
才能はぬきんでていて、思想も河のように広く深い。

清辭苑苑,若聚葩之蔚鄧林;綠藻妍妍,如河英之照巨海。
詩文も清らかで多彩、鮮やかな花のよう。海の喪のように大海に照り映えている。

武庫太官之譽,握促之器者也。但祿由德賞,頻享黃爵。
才能の誉れは帝王並みともいえるべきである。徳のある行いで俸禄を与えられた。

建安十六年封平原侯。十九年改封臨淄侯。
建安16年平原侯に、19年に臨淄侯になった。

都不以貴任爲懷,直置凊雅自得。
爵位におごることなく、世俗並みではない気品がある。

常閑步文籍,偃仰琴書。朝覽百篇,夕存吐握。
書物を片手に散歩をし、琴をたしなむ。朝に100篇の詩賦を読み、夕方には賢者を招き礼を行う。

使高據擅名之士,侍宴于西園;振藻獨步之才,陪遊于東閣。
高名な学士とともに西園(銅雀台)にて宴会をし、その文才は唯一無二、東閣にて遊覧する。

黃初三年,奸臣謗奏,遂貶爵爲安鄉侯。
黄初2年、役人の誹謗を受け、安鄉侯に格下げされる。

三年(二年?)進立爲王。及京師,面陳濫謗之罪,诏令複國。
3年、王に昇進し、都に赴き、皇帝に面と向かって誹謗されたことを訴え、詔により封地を回復した。

自以懷正,信如見疑,抱利器而無用。
正直なままに行動したため疑われ、才能を抱いていて登用の機会を得られなかった。

每懷怨慨,頻啓頻奏。
いつも恨みに思い、頻繁に上奏した。

四年(三年?)改封東阿王。五年(六年?)以陳前四縣封,複封爲陳王。
太和3年、東阿王となる。6年に陳の4県を与えられ、陳王となる。

以讒言數構,奸臣內興。
役人からはいわれのない罪を着せられ、讒言を受け続けた。

十一年裏,頻三徙都,汲汲無歡,遂發憤而薨,時年卅有一。
10年の内に3回封地を変えられ、楽しみのなく、ついに憂悶のまま亡くなった。41歳だった。

即營墓魚山,傍羊茂台,平生遊西,有終焉之所。
魚山に墓を作った。傍には羊茂台があり、いつもそこに登って楽しんでいた。この地を墓と決めた。

既如年代夐遠,兆茔崩淪。茂響英聲,遠而不絕。
すでに時が過ぎ、祭壇は倒れかけ、墓は沈んでしまったが、名声は今も伝えられている。

至十一世孫曹永洛等去齊朝。
11代目の子孫の曹永遠らが斉の朝廷に赴いた。

皇建二年,蒙前尊孝昭皇帝,恢弘古典,
皇建2年(561年)、北斉の孝昭皇帝により古典が復興され、

敬立二王,崇奉三恪。
商の湯王と周の文王、黄帝、尭、舜が崇拝された。

永洛等於時膺符表貢,面奉照皇親訓聖詔。
永洛らは皇帝の詔によって参内し、皇帝に目の前で直にお言葉を賜った。

比經窮討,皆存實錄。蒙敕報允,興複靈廟。
古典をよく研究し、信用できる史実を記録した。皇帝の計らいにより曹植の霊廟を修復した。

饋嗣蒸嘗,四時虔。
冬と秋には供え物をし、四季ごとに先祖を敬い参拝する。

使恭恭嗣子,得展忠誠之願;茕茕孝孫,長畢昊天之慕。
優雅で礼儀正しい子孫によって祈られている。孤独な子孫は空を仰ぎ見て祖先を慕う。

遂雕镂真容,镌金寫狀。庶使休二相度,永劫而不泯。
そこで曹植の容貌に忠実な塑像を彫り、黄金で形作った。先祖が永遠に穏やかに休めるように。

七步文宗,傳芳猷于萬葉者也。
七歩の文才の祖の偉業は何代にも語り継がれるだろう。
スポンサーサイト

コメント

No title 

こんばんは。再開しました?楽しみです。
白虎も金雞も暁に鳴き,天下のけもの,(もしくは鳥たち)が呼応する,といいいます。
曹植がひと叫びすればw天下がびっくりする,くらいの意味でしょうかねw
ぎゃーっ>曹植
きゃーっ>天下・・・
(> <)bでは又

Re: No title 

なるほど、曹植が叫べば天下も叫ぶんですね。ありがとうございます。
不定期にちまちまと更新していますw
  • 抹茶アイス 
  • URL 
  • 2013年06月22日 05時34分 
  • [編集]
  • [返信]

コメントの投稿

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

プロフィール

珍珠晶素

Author:珍珠晶素
メールはこちら
tsaochih★hotmail.co.jp
★→@

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

フリーエリア

応援中

最近の記事

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

右サイドメニュー

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。